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東京オリンピック

 2016年夏季五輪開催都市が決まる、10月2日の国際オリンピック委員会総会に石原都知事が出発しました。国連で、排出ガスの大きい削減を提案し、賛同脚光を浴び、今世界の首脳の中で注目度抜群の鳩山首相に、助っ人コールをしていたのが叶い、駆けつける事にもなった様です。
 又再び、日本の東京で、オリンピック・パラリンピックが開催されたらいいだろうなって思っています。是非に!実現を。

 1964年の東京オリンピック、小学生だった私に大きい影響をもたらしてくれました。モノクロテレビだったけれど、家族で期間中ワクワクしながら応援しました。
 東京には行ってませんが、開会式の五輪を描いた飛行は、生で見ました。というのは、浜名湖畔の小学校でした。あの飛行は浜松の航空自衛隊がしていたのです。それで、色のないガスの時から、練習しているのを見上げることができました。段々輪が丸くつながり、直前には5色の輪になっていきました。ずっと後になって、あの五輪の輪がきれいに繋がって描けたのは、快晴の開会式本番のあの一回だけだったと知りました。

 東洋の魔女と呼ばれた女子バレーチーム「葛西キャプテン」の講演や、男子体操の「遠藤選手」他のメダリストの方々、女子体操の小野選手もいらして、隣接の高校のグラウンドで模範演技をしてくださったのですが、どんな人達の努力か、ご縁で来て下さったのでしょうか?今思うとすごい人達が、片田舎の町にやってきて下さったのです。テレビの中で、いえいえ、それどころじゃありません、オリンピックというすごい場所で、活躍した人達を間近に見られるのは、めったに無い事であり、すごくすごく印象的なできごとでした。

 私は体操に引き付けられてしまいました。自宅裏の公民館の植え込みのブロック枠を平均台のつもりにして、チャスラスフカさんの真似をして遊びました。歩く時は、平均台上を歩くつもりで、一直線に背筋を伸ばして歩きました。中学に入ったら、体操部に入ろうと心に誓ったのでした。しかし、中学にも高校にも体操部がなく、仕方なく、結構あっさりあきらめたのです。
 
 大人になり就職した会社で、オリンピックの体操を見て(ここまでは私と一緒)、長崎一の体操選手になったヨシコさんと知り合ったのです。彼女のすごいところ、私の気持ちだけの憧れ気分と違う、さすがの精神力と感心したことは、私より2年下の小学生だった彼女は、近くの中学校へ行って、一緒にやらせてと頼みに行ったというのです。小学生の子供が、自分で行ったというのです。
 許可が出るまで通い続けて、とうとう小学生ながら、中学生のお姉さん達と一緒に練習することになったそうです。オリンピック選手をめざして練習の日々、大学時代に大きいケガをし、選手を諦め、普通のOLになったので出会えたのです。
 選手としては体が耐えられなくなってしまった、失意の日々の中、苦渋の選択でOL生活に入ったのでしょう。入社した頃は、あまりに他を受け入れない様な、雰囲気を持っていたのを覚えています。
 結婚して、子育てしながら、体操クラブでインストラクターとして、後進を育てる仕事をし、今は、豊田市の体操クラブの主宰者として、自分の利益は度外視、ボランティアで、子供達に体操を教え、コーチとして手伝う若者達を束ね、やはり精神力の人、技術だけでなく、人としての躾もしっかり指導しているのに、逢う度感心するばかりなのです。
 結婚してからの、彼女は、ふっきれたのか、いつも若々しく、快活で、年齢を感じさせない体型で、入社した頃の雰囲気はどこにも見られません。信念を持って生きている人の凛々しさがあります。私はこんな彼女と出会えたことを嬉しく思っているのです。

 よその国で行われている時でさえ、感動を憧れをもたらせてくれるオリンピック。自分の身近で観戦したり、関わりが持てたとすると、特に子供達には、自分の生き方に、前向きな大きい影響を及ぼしてくれる物事となるはずです。

 東京で開催になったら、今度は、競技を生観戦するチャンスの可能性が高くなるはずだし、遠方の友人知人が我が家に来てくれたら良いし、「東京」に決まって欲しいものですね。

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テーマ : よし今書いておこう♪ - ジャンル : 日記

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