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それでも生きていかなくちゃ!・・・

東北関東大震災 終息どころか、この先どれほど被害が増大拡大していくのか予測がつかない感じさえあって、もう自分の事さえ私の頭であれこれ考える域からは疾うに出てしまってる。
情勢に巻き込まれながら、命ある間はできる事を出来るだけやっていく!・・・しかない?

大きく被災された方たちの事知るたび聞く度、「命が助かって良かった!!!」と安否の確認ができて喜んだ人でさえ、家が無い・・・仕事が無い・・・大事にしてた物を失った・・・ナドナド。
これからは折れそうな心と闘い続けなきゃならないんだもの。どうやって立ち上がればいいんでしょう???

震災から丁度丸一月経った昨夕方、東京辺りも大きく揺れた。
幼い孫を遊ばせながら夕食の準備中に来た!!!二人を両脇に抱いて収まるのを待った。

3月11日震災時は保育園で預かってもらっていた孫達は、その後の余震の度怖がっていたという。放射能のことと合わせて、まず伝のある愛知へ、そして、娘の連れ合いのご両親の好意で、娘さんの子供二人と共に出雲の家で預かって下さる事になって、後半私も手伝いに参じて、昨日午前中二人には一ヶ月振りの帰宅をしたところです。

いつどこで何が起きるか分からない危機感いっぱいの日本というイメージの今。
少なくとも今の出雲には平和な時が流れていた。(研究者や地域の物知りの方々の間では、この地域千年毎の大地震が近いうちくるのでは!?!?!?と心配の向きもささやかれているそうな)
3月の末。東京駅22:00発 翌日9:58出雲市駅着という寝台車に乗り、約12時間。眠っている間に着いてしまう。
寝台車に初めて乗ったのは40年近く前かなー?九州は熊本が実家の同僚宅に同期3人でお邪魔した時。その時は折畳み式で、天井近くまで3段になっていた。九州の彼女は帰省の度、揺れが落ち着かず眠れた事がないと言ってたから、あまり気にならない私が一番揺れるといわれてた最上段に寝た。朝ベッドを畳みにくる音が近くなってやっと目が覚めたくらいだから良く眠れたようで、友人達を呆れさせてしまった思い出がある。

その頃のイメージしかなかった私は、内から外からロックできる扉のついた個室になっているのにビックリした。ハガキ式のパンフレットを見て全く変っている事を知った。日本が豊かになったという事でしょう。一般的な収入の人達が利用できる設備も物も随分良くなってきてる事をこんな所からも知った。

こんなに良くなった寝台車だというのに、今回は、当たり前の列車の揺れを、地震の揺れと体が反応して何度も(列車が止まるのでは?)と、目が覚めてしまった。

さて、ご両親好意の私設託児所?は、5歳の女の子を筆頭に、4歳3歳は男の子、しんがりが2歳の女の子と、4人共普段は保育園に通っている子供達。一人(特に大きい女の子が何をするにもリーダー的存在、影響大きい大きい)が何かに興味を示すと皆それにむらがり、順番なんて無理!手が出る!足も出る!引張り合う!泣く!「○ちゃんなんて嫌い」ちょっとたどたどしく「バカモノ」なんて言い合う!
御飯の度もめる!これはキャラクター物の箸を巡って「これが良い」「これは嫌」
我が家ではホットケーキ作りや、ギョーザの皮包みなど4歳の男の子に手伝わせるので、ここでもさせてやろうとすると、リーダーが「自分は上手にできる!」とやってきて、またここで調整が必要に!!!
昼寝を一斉にさせるのも大変。4人に共通側のおばあちゃんの取り合い。御飯の時も隣りを奪い合う。
まあ、大人は御飯がどこに入ったか分からない???
ぐずり泣き出したら、煽ても言いつけもどうにもこうにも効き目のない2歳は、昼寝も食事も遊びもほぼマイペースなのだけは助かる存在。
保育園の先生に、心の中で『ありがとう!お疲れ様!』と何度言ったことかしら。

(あっちが悪いんじゃないの!?)と思いつつ、自分側の孫をさりげなく諭さなければならないのもやりにくい。しかたないので、けんか両成敗は、4人共通側のおばあちゃんにお願いすることに決めた。
毎回の御飯作りは何の苦労もないけれど、4人の調整が厄介なりの日々だった。
用事があって4日ほど早くおばあちゃんが5歳3歳を連れて帰られてからは、自分側の二人だし、仕事を終えた足で1日休みを取った娘も来たから、普段通りなので急にラクチンになった。
最初からずっと4人を見てくださってたお母様にも心から『ありがとう』でした。

庭には一面、芽を出し始めたヨモギやら、背の低い雑草の類の緑があって、たんぽぽくらい鮮やかな黄色の花が固まりになって点在し、6,7本ある若い桜の木に花が開き出し、行った時から段々鳴き方が上手になってきた『鶯』がさえずり、思いもかけずのどかな春を味わうことができた私。
ここにいる間の災害情報はほぼラジオだったし、幼子に付き合ってる時間が多く、災害の事実はやや遠くなっていた。直後にここに来られてたご両親は、NHK以外は普通に近い番組が流れていて反って不思議な感じがしたそうな。

7日、先に戻られたお母様は、その夜大きい揺れに見舞われて、昨日戻った私達も夕方の大揺れにおののき、今日も朝から何度か揺れて、(あーまだ真っ最中なんだ)と思い知らされている。

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