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規格外?希少価値?

クローバーが繁っていると、未だに「四ッ葉」を探す習性がある。
去年の5月に二つ見つけて押し葉にして、手帖に挟んで、以来見つけてない。

見つけると、”幸せが届きそうな”ちょいとばかり良い気分になる。

今日の朝、ウォーキングの途中の公園の木に白い花がたくさん咲いていた。地面にぱらぱら落ちていたから、見上げると木全体枝々に小花をいっぱいぶら下げている。花びらは合弁だけど、先が5つに分かれてるのが主流かしら?4つのもかなりある。あれれ、3つのもわずかにあるし、足元におちているのは6つの物も一輪ある。
植物辞典には何と記載されているのかしら?「四弁又は五弁の白い花を咲かせる。稀に三弁又は六弁のものも見られる・・・」なんてところかしら?

植物や動物は仲間と一風違うところがあるものが珍重されて、稀少という事で価値も高まる。
これが人間だと・・・全く反対の扱い。
皆と違う事が『感心しない事』『困った事』はたまた『辛い事』となる。
形だって、指が一本足りなくても多くても、周りの反応は(見てはいけない物を見た!)(さりげなく見て見ぬフリをする)、身に付けたり、使う道具の類は、大方の人が使える規格品が主流だから、生きていく上での不便も大きい。
何か良い事ってあるかしら?(あったら嬉しいんだけどなー)
未熟な社会の中では、「皆と違う」って事だけでいじめを受ける事さえある。
何だろうねぇ人間って???

学校時代は皆と同じ価値観の中で、同じ基準のテストの中で、たくさん答えられた人が優秀視されることが多く、社会に出ると、型にはまらず、独自のアイデアを繰り出す事ができて、多くの人が求めている事を作りだせたり、提供できる人が歓迎される。

また、見た目からの事でいうと、大人になると、足長・本来の茶髪・堀の深い顔立ちが断然優位。でも、こんな容姿の人達の中には、子供時代は好奇の目で見られて辛かったという人もいるし。

人間は大方の人は60年から80年くらいを、何らかの共同体の中でコミュニケーションとりながら生活して、生きていかなきゃならないから、その間、みんなと違うと特別な道具が必要だったり、衣類の類も間に合わない物が多かったり、たくさん売られてる物が食べられなかったり・・・で、生きていくのに不便で辛い思いをする。
だったら、そういう人を、気持ちの上で垣根をつくらない様に、居心地悪い思いをさせない様にしたら、もっと楽に共存できそう!

違う見方をすると、動物は仲間と毛色が違うと、目立って見つかりやすく、その分動物の世界では長生きできないって聞いた事がある。
珍しいから、捕まえられて動物園で生きる事になる物も・・・命は護られるけど・・・それは、その物にとっては良いのか?悪いのか?人間社会の中では、意思表示できないんだから、本人の本心は分からない。
植物だって、稀少価値があると言っても、人間が評価してるだけで、植物そのものには何も関係ない。
捕まえられたり、抜き取られたりしないで、自然環境の中で本来の生き方の方がが良いんだろうなー・・・!


この私、朝のウォーキングも欠かさず、表向き普通に日常生活を送りながら生きてはいるけど、心の深いところでは、何の為に、何を拠り所に生きてるのか分からず、前向きになれないしおれた自分もいてやるせなく、花を見てはぼんやり、木々の中を歩きながらぼんやり、考えても答えの出ない事を思い描きながら、又陽が暮れていくのです。
震災で大きい被害を受けて、それでも頑張っている人達を思うと、(ごめんなさい)と思いつつ・・・。
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