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友達っていいな!

親も兄弟姉妹も、自分ではどうすることもできない生まれた時からの関係であり、与えられた宝物!(であることも多い。)
友達は自分で築いた宝物!
恩人は天から授かった宝物!

私にとって『愛知』は、ありがたくて嬉しい思い出と、辛い思い出とがぎっしり詰まった貴重な地。
そして、大事な友人達と、恩人の先輩がいて、父のような存在の次兄がいて、生まれ育った『静岡県』よりも所縁の人達が多くなった第二の故郷。
そんな愛知に帰省すると、きっと時間作って会ってくれる友人の内の二人が、初めて泊りがけで遊びに来た。

土曜日『東京駅・八重洲口』に迎えに行って、その足で『後楽園ホール』に『笑点』の公開録画観覧に行った。6月の放送時募集テロップを見て申し込んでおいたのにやっと『招待ハガキ』が届き、私も初体験だった。
時間がかぶってしまい諦めたけれど、『後楽園球場』では、トヨタとNTT東日本が都市対抗野球の試合中。心の中で応援しながら、「笑点の大喜利」が面白くて、途中からはすっかり『笑点』の世界に浸った。

『後楽園ホール』が、目立たない古いビルの5Fにあるとは知らなんだ。1週間前の野球観戦の後、確認しておいたから迷わずに案内できたけれど。
「無料招待」だから仕方ないけど、5Fまでは、「落書きしないで!」とありながら、びっしり落書きのある壁伝いに階段で上がるようになってて、しんどそうにしてる老婦人もいらした。
彼女達は「笑点は毎週見てるけれど、番組がどう進行していくのかもわかって楽しかった」と喜んでくれて良かった。

遅い昼食を近くのお店で食べて、「池袋」経由で夕飯の食材の買い物して帰宅。
さあ、ここからが楽しい楽しい。もう、すっかり昔に戻って懐かしの寮生活の一室状態。
主婦は上げ膳据え膳が嬉しかろうと、私が頑張ろうと思ったのに、皿は出してくれる。並べてくれる。
「いいね!いいね!」お喋りが弾むこと弾むこと。
新幹線で一っ跳びとはいえ、長旅で疲れていように、ついついその日を越してからやっとふとんへ。

日曜日朝食後、私の生活圏の散歩コースをぐるり案内。彼女達は今も車の本拠地で生活してるから、「ドアツードア」の車生活。たっぷり歩かせてしまったけれど、私の日常がよく伝わったらしい。
いつもは通るだけの「うどん・そば屋」さんで昼食。夕飯は二人が作ってくれるといってくれて、買い物して、一旦帰宅。
一休みして、『銀座の歩行者天国』に繰り出した。
私が初めて、歩行者に開放された中央通りを歩いた時、右も左も錚々たるお店が軒を連ねていて、(雑誌で見た、小説に登場してる、テレビで紹介されてたなど・・・)一人で歩くなんてもったいない!友達を案内したいと思ったのが、実現できた。

楽しげに歩いていたら、テレビの番組取材から2回も声かけられて、3人で律儀に応えちゃった。
ひとつは、「発酵食品について」何かと質問された。
BSジャパンの7PMとか?・・・見たことないチャンネル
もうひとつは、「『WBC』の選手会の決断をどう思うか?」って質問だった。
これは「テレビ朝日」って言ってたけれど、どの番組かはわからなかった。

どうせ、編集するでしょうし、番組制作側の意図に即したことを喋った人が起用されるでしょうと高を括っていたら、月曜朝のワイド番組に一人のしゃべりが出たらしく、九州の実家のおねえさんやら、今のご近所さんから「テレビに出ていたね」と何通かメールが入り、(東京に行くって事黙ってたのに、バレチャッタ)と言う事で、土産の配布先が増えてしまったらしい。罪な所へ案内してしまったか?!

この日は現役主婦の二人が夕飯をささっと作ってくれた。
(あーら嬉し!!!)
片づけだってささっとしてくれて、こんな宿泊客は大歓迎!!!
この日もまー!よくもお喋りすることがあるもんだ!と思わせるほど、あるわあるわ
『3人寄れば○○の知恵』?「かしましい」ほうだけれど・・・。

一泊目の夜(ふとんが変わると眠れない)という二人はいつまでも眠れず、朝もはよから目が覚めたというのに、ずっと連れ回して昼寝なしだったから、さすがに眠くなってきて、日が替る前にふとんに入った。

3日目の月曜日
もう午後の新幹線で帰ることになってる最終日(楽しい時は、経つのが早い!)
自分たちのシーツ類など洗濯して干してくれて、正に”来た時よりも美しく”(ありがとう)
私はその間出かける先の交通手段を調べて、やはりこれでしょ!!!ってところに案内することに。

『東京スカイツリー』
まず『東京駅』に行って、大きい荷物はロッカーに預けて、一番安い料金で行けるメトロ乗継手段にて、「丸ノ内線」で次の「大手町」乗り換えして「半蔵門線」で「押上」=「スカイツリー駅」料金¥190也
何年か前、キッチン訪問で降り立ったことのある「押上」駅だけれど、随分広がってきれいになって、周辺環境は一変している感じがあった。

遠くから見ているけれど、テレビで映像も見てたけど、おひざ元で見ると断然迫力が違う!!!
カメラに収まりきらない!
「待ち時間は、今なら40分くらいでしょう」と言われ、ここまで来て上らないってのは無しでしょうってことで並んだ。大人¥2000也
一旦上った展望台で、更なる『天望回廊』のチケットは購入という。大人¥1000
ここでも行列。帰りの時間の関係でここは諦めた。

エレベーターでたった50秒「高い!!!」高さ350メートルからの眺望。
東京タワーのてっぺんよりも高い!ぐるり一周して地上を見下ろした。
東京湾も見える!新名所となった「東京ゲートブリッジ」も見える!隅田川の下流まで見える!新宿の高層ビル群始め、高いビルがあちこちににょきにょきあるのが見える。東京タワーも見える。冬の晴天なら『富士山』だって楽々見えるはず。
凄いなー!!!人間の知恵と技と体力精神力が結集してできたんだと思うと誇らしい!

三日間楽しかったと言ってもらえた。私も楽しかった。
彼女達が来たからオープン早々の「東京スカイツリー」へも行けた。
(行くとしても人気が落ち着いてからでいいや)と思っていたから。
名残りを惜しみつつ「東京駅」で見送って一人帰途についた。

そういえば『東京駅』の復元も随分進んでいて、ほぼ全容が見られた。
帰省したり旅行の時も新幹線だったから「丸の内側」から駅に入ったのは久しぶりだった。
先回見た時は「工事の壁」に隠されていたから。

第83回 都市対抗野球大会 トヨタの回

今年もシーズンが始まった。
15日の日曜日午後は トヨタ:JR北海道

私の青春時代の思い出がいっぱいの「トヨタ」が今年も豊田市代表で出てきた!
ここ1,2年は振るわなかったのか?あまり印象のない内に終わってた。

確か、3年前の夏はどんどん勝ち進んで決勝まで進み、会社が仕立てた応援バスや、貸切状態の新幹線がチャーターされて、かつての知人友人や妹も「東京ドーム」に応援にやってきた。
私も娘家族を伴って勝ち進む度、行ける限り応援に行った。
横浜の後輩はその年、ドーム6回の全試合を応援観戦した。

応援の大団扇を打ち振ったり、うち叩いたりして、普段は出せない大音量の歓声も上げて、良いストレス解消ができた。

まだ3歳手前だった孫は、しばらくその団扇を打ち振っては
「がんばれ!ガンバレ!トヨタ ゴーゴーゴー!!!」と、応援のマネをして遊んだ。

多分決勝戦の時と思うが、ノリの好いママに触発された幼な児も、手を振りジャンプし、精いっぱいの声で応援していた。
すぐ前にいらしたトヨタの現役ちょい上役(かなり上役かな?)っぽいグループの人達が後ろで大声援チームと化した私達を身内の気分になったらしく、「あそこに『アキオさんも来てるよ』と、指差した先に、特別席でない、従業員と一緒の観戦シートに、(お高い特別お誂えかもしれないけれど)ぱっと見、普通に着てそうなカッターシャツ姿で観戦中だった。
この気さくさが好感度高い!!!

そして、今回15日の初戦の日
早くから行って良い場所に座れた友人から、「近くに社長がいらっしゃるからおいでよ!」とメールがあり、空いてる席に座ると、なんと友人の斜め前、私の席からは3つ程前に後姿があるではありませんか。
そうです。
チアガールも応援団も正面に見える良い席だけれど、特別席ではないのです。
仕事から抜けてこられたか?きっちり仕立てた感じではあるけど白いカッターシャツ姿。

いいプレーがあると、前に座った人達が振り向いての「ハイタッチ」をしてるじゃありませんか!!!
8回でほぼ「勝」との様相になり、9回の表になるグラウンドが入れ替わるタイミングで退散されたが、さして大仰でなく、仕事に戻ります的な感じで、すぐ後ろにいた2,3人の人と通路階段を上がってこられたので、ばっちりお顔を拝見できた。

この時思った
やはり世界的な大会社の総責任者なんだなーと。
「オーラ」が見えた!
(ごめんなさい・・・報道ニュースや新聞で拝見すると、地味系のお顔の作りが気になっていたのです)

トヨタの事も!社長さんの事も!応援してます!!!

今回勝ち進んだから、次回は7月21日(土)第一試合です。
トヨタ側の観戦席にきっといらっしゃるでしょう。

2月最後の日に降った雪

『春』はすぐ傍まで来てるはずなのに、近づけないでいるのかしら?
閏年の今年だからあった2月の29日・今週水曜日の雪に、また冬に引き戻された思いだった。
朝ウォーキングの頃は細かい雪がちらちらしていて、うっすら白く積りつつあった。
出勤の頃から雪粒が大きくなってきて、駐車中の車や土のあるところは白い層が厚くなりかけていた。
(今日の利用者さんのお迎えはどうするんだろう?)と心配だった。
送迎のドライバーさんが、「こんな日はなぜか?意外とみなさん休まずにいらっしゃるんだよ」と言われた。
正に!だった。ご近所の方も、杖の方も、車イスの方も・・・
欠席は午前午後の方合わせて一人だけ!

スタッフさんも、電車のダイヤ乱れがあって遅れた。おまけに、スタッフの要員がギリギリの忙しい日。いつもは歩いて来られるご近所の方も、足元不如意だからと一人ひとりお迎えに行った。車イスの方は、傘を差し掛ける必要があり二人体制だった。
(こんな日は、パートの方に緊急お手伝い依頼できないものかしら?)なんて思った私。
ところが、午後来てくれるパートさんは、(こんな日は休業で、「お休み」連絡があるのでは?)と思ってたそうな。真反対の思いでいたなんて・・・!

みるみる積って、窓の外はすっかり雪化粧。
利用者さんは大正生まれの方や、昭和一桁の方が多く、何と、昭和11年2月26日に勃発した、青年将校らによって、時の首脳要人達を狙撃するという、クーデター未遂事件である「2.26事件」の話になって、私は社会の教科書や、事件を振り返った報道番組などでしか知らない事だから、すごく遠い時代の事のように思っていた事件を、小学生くらいだったようで、「リアルに憶えている」と仰るのに仰天だった。
※「2.26事件」については、Wikipediaに詳しい

あの時は東京では珍しいほど雪が多くて、膝くらいまで積ったわよねー」
「車に乗って永田町近くを通ると、兵士が銃を構えてあちこちに立っていて、異常な光景だった」
「学校の後輩のお父様が撃たれて、その彼女は、後に修道女になられた」・・・この方の事は何かの本で読んだ気がする私。

こういう方達と毎日お話できるなんて!貴重な事のような気がする。

そうそう、今の天皇陛下がお生まれになった時には、祝砲が鳴ったのですって!
当時「築地」に住んでたとおっしゃる方のお話。
「夜だったけれど、大人も子供もちょうちんを持って、『宮城』(皇居の事を普通にこう呼ぶのも時代を感じる)にお祝いに駆け付けた」とか、
他の方からも、「ポーポー」と2回鳴ったから「男子ご誕生!」と分かったとか。
ちなみに「女子」は「ポー」と1回鳴るのですって。
「皇太子ご誕生を祝う歌」があると言って、通して歌っても下さいました。(凄い記憶力)

こんな事が話題になった雪の日でした。

何より心配だった翌日の路面の凍結!
これは、1月末に降り積もり一週間くらい溶けきれずに残った雪と違い、春近い雪らしく通路は溶けていてホッとした次第。

「バレンタインデー」に想う

今年も「バレンタインデー」がやってきます。
お菓子を扱うお店は大事なかきいれ時。
店頭のコーナーには、色とりどりの美しい姿になったチョコ様が居並んで手招きしてる。
新聞の折り込み広告にもそそられる。綺麗!可愛い!おいしそう!私が食べたーい!!!

今は残念ながら、トキメキ心浅く、参加しなくなって久しいこの行事。
社会に出たのがちょうど「高度成長期」このチョコレート業界の仕組んだうまい商法が、軌道に乗り始めていた頃だったのでしょうか!?
ちょっぴり楽しい思い出はそれなりにあって、このころになると懐かしく思い出すのです。
職場の男性陣に女子社員がまとまっての義理チョコもあったり、恋心の本命じゃないけど、「憧れてます!」メッセージチョコってのを贈りました。
今のように、これまたお菓子業界の仕組んだ「ホワイトデー」なる、お返しの日がなかったので、一方的にお遊びで気楽に贈ることができたのです。

友人達とゲーム感覚で、職場の違う、その年ごと、気になる男性宛てに、社内便に乗せて送ったものです。
ちょっとした流行で、この時期みんながするので、社内便を司る部署から禁止令が出て、書類に偽装しても怪しいと見なされると、注意書き添付で「返還」になりました。ほんと業務妨害ですものね!

それでも懲りずに、(どうやったらばれずに送れるか!?)ってことを考えたものです。作戦は成功して、無事届いた様で、その直後の帰り道、偶然反対方向に男性数名の集団があり、中ににその方がいて、ちょっと手を挙げて、少しだけ照れた感じで「ありがとう!」って言われた、その仕草がひどく高感度よろしく思えて・・・たったこれだけの小さい事なのに、いつまでも憶えている、私の中の憧れの大人の男性。
その時のシーン、その顔はしっかり覚えているというのに、あー名前が思い出せない。

素敵と思ったその訳は、前年、技術部のこの方がコーチとして率いる「職場対抗男性レガッタチーム」と私所属職場の「女性レガッタチーム」が、福井県の三方五湖のボート合宿所で一緒に合宿練習をしました。
その時、小学生低学年か、幼稚園くらいの坊やを連れてきていて、(おとうさんが、こうして男の子に関わってるのっていいなー!)と強く思ったのでした。
何とも色気なしだけど、人としていいな!!!と憧れたのでしょう。
なんじゃろ?これって。今もし神様が偶然合わせて下さったとしても、お互い時があまりに経っていて分からないだろうな。
薄くて小さいけど、包装のイラストが可愛いチョコを書類に挟んで、テープ止めして「ファンです!」なんて添え書きして、それでも、悪い事してるのと、ほんとに届くかな?ってのと、少しは気にしてくれるかな?なんてのが入り混じったドキドキ感はあって、それなりに楽しい思い出。


なんでだろう?後に結婚することになる人にも、贈ったはずなのに・・・?ちっとも憶えてないなんて。

このところは、病気の兄宛贈っています。
ふさぎがちな気持ちが、ほんのちょっとでも開くと嬉しいな!という気持ちなのですが・・・。
去年、期間数量限定発売になった「ROYCE’の生チョコレート≪プレシャス≫」好評だったので今年も手配してあります。

上京してそれなりに長く仕事してた会社でも、今の仕事先でも、「悪しき習慣は無しにしましょう」ということらしいので、すんなりやめておきます。
そう!時代が変わり、義理チョコでも、貰った男性はお返しに気持ちを砕かないといけないらしいです!
娘の職場はこの行事がしっかり活きてるらしく、彼女なりに、負担にならないよう、かと言って、子供だましじゃない物・・・などと考えてしまうらしい。業種の性格上「世間の人達の動向、流行などに意識を持っていることも求められる様で、男性側の負担が気になりつつも、今年もするらしい。

積極的に参加することのなくなった今も、それなりに気になる「バレンタインデー」
「土用の鰻」を広めた「平賀源内」に匹敵するやも?
「バレンタインデーのチョコ」は誰の名案?かしら。業界のアイデアという事は広く知られてる事だけど。

トラックバックテーマ 第1344回「雪は好きですか?」

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って聞かれたら「好き!」っていうか?憧れのようなものさえあります。
雪の怖さを知らないところで育ったから、表面的なものだけでとらえていることにお許しあれ!!!

静岡県の西部ですが、子供の頃は一冬に1~2回は積もったものです。
朝、一面の雪化粧をしていると、いつもの景色がすっかり違って見えました。
雪だるまを作ろうと雪玉を転がしていると、あまり大きくならない内に泥がついてしまい、背丈ほどもある雪だるまを作るのが夢でした。
教科書で見た、「かまくら」に入ってみたかったものです。
雪合戦の雪つぶてを作るには、地面や道路の物ではすぐに泥が混じるから、木の上や、物の上に積もってる物を集めては作らなければならず、忙しかった思い出があります。
大体、その日のうちに日当たりの良い場所の雪は解けてしまいましたから、朝方の遊びでした。

雪が舞い始めると、食べようと口を開けて雪を追いかけたものです。

初めてスキーをした時、転んでもちっとも痛くない事にビックリしたものです。
倒れた体を丸ごとふんわり受けとめてくれる場所がある事を、知りました。
これも、初心者で難しいコースやら、技はできなくって、安全地帯しか経験のない私の感想です。

大人になって厳しさも知り、雪のあるところで育った友人達の話を聞き、印象が変わった事もありますが、友人の子供さんが、「静かに雪の降り積もる日に耳をすましていると、物語が生まれる気配を感じるよ。雪国に詩人が多いのがよくわかる」と言ってたのがとても印象に残っています。

現実に戻って、震災にあわれた人達、仮設住宅で寒さにこらえていらっしゃる人達を思い、切ない気持ちもあります。
そんなこと、あんなこと想いながらも、雪の神秘さには色々な想像を掻き立てられるのです。